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倭姫伝説

倭姫が姿を映した姿見の池

倭姫が姿を映した姿見の池

倭姫命(やまとひめのみこと)は、垂仁天皇22年(紀元前8年)に天照大神の御杖代(みつえしろ=杖代わりとして奉仕する者)として、ご意向を伺いながら各地を転々とし、最終的に伊勢の国の現在の位置に皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建されました。途中転々とした場所のことを「元伊勢(もといせ)」と言い、飯高町にあった滝野神明社(たきのしんめいしゃ・現在は水屋神社に合祀)も元伊勢の一つだったと言われています。

この飯高の地を訪れた際に、お迎えしたこの地を治めた豪族・乙加豆知命(おとかずちのみこと)にこの辺りの地名を訪ねた際、「飯高の国」と応えると「飯高(=ご飯が高々と盛られている)とは貴い」と喜ばれたといいます。

マルゴ株式会社のすぐ裏の櫛田川には、倭姫命が滝野神明社滞在中に化粧をするために姿を映したと言われている「姿見の池」が残っています。この池の畔から観る風景は大変美しく、息をのむほど。また池近くの巨岩には白い龍の文様が浮かび上がっています。

倭姫命は倭建命(やまとたけるのみこと)の叔母で、東征の際に天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ・三種の神器の一つで草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも言う)を授けたとされています。また倭姫命の櫛が落ちた所は櫛田(くしだ)と名付けられ、これに習って歴代の斎王は川に櫛を捨てて神に仕える決心をしたといいます。この櫛田川は大和国との国境にある高見山を源とし、水質の良さとその水量からこの地域の林業を支える水資源となりました。